とある街のどこかの路地裏にひっそりと佇む一軒の店、夜魔猫亭。
いつ開くのか、何の店なのかも謎。
それでも気まぐれに明かりが灯る時、どこからともなくお客がやってくる。
ここは誰もが本当の自分の姿でいられる場所。

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。
 

放送はYouTube LIVEにて

生死観は人の数だけ

思うことあれこれ

普段、霊の存在を信じていないと言う人でも、
当たり前のように「生まれ変わったら○○になりたい」とか「前世は○○だったかも」とか話したりします。
確かに仏教には輪廻転生という言葉がありますが、お釈迦様は無我説によって
我々が一般的に考えるような「私」という意識(魂)の転生を否定してらっしゃるのですが。

とはいえ、気軽に友人同士で「生まれ変わったら」という話題をするときは、
「もしもこんな世界だったら」という空想遊びがほとんどでしょうから、
「いや、生まれ変わりなんかない!」「そんな科学的に照明できないことを語るのはナンセンスだ」
なんて言ったら空気読めない変な奴になってしまいますけれどね。

この生まれ変わりという考え方、実は私は信じていません。
私が語るオカルトの話題はほとんど「もしもこんな世界だったら」を前提としていますので、
現実に重ねないようにしています。

私の生まれ変わりやあの世についての考え方はこのようなものです。

この世のものは形ある物質に限らず、思考・観念・記憶さえもこの世に置いていくしかない。
それは、物質である脳の働きによって生じたものであるから。
脳が死んでも、生じたソレは何らかのエネルギー的な物として残ることはあるかも知れない。
それがいわゆる「霊」と呼ばれたりする。
命は天(大元=神=超越意識)から降って来る雫のようなもの。
だから新たに生まれてきて次にそれを拾った雫がもしいれば、それが私の生まれ変わり。
けれど、それはもう私ではない。 死んだ私は元の雫として、あちらの天の大海原に帰る。
無ではないけど、どこに行ったかは全てに溶け込んでもうわからない。

という、生死観。 これはあくまでも、今の考え方で、またこれから変わってくるかもしれないけれど。

いろんな生死観があってもいいと思うのです。
多分正解は人の数ほどあるのでしょう。
選ぶストーリーがその人の真実。
神が八百万あるように、生まれて生きて死ぬドラマの価値観も無限。
他人と答え合わせや摺り合わせも必要なくて、鑑賞会みたいなのが楽しいなと思います。
だから私はGODforestが好きなんでしょうね。

また、志を新たにしたとき守護霊が入れ替わるという説を説かれる人もいらっしゃいます。
が、私は守護霊についても、本当かな?と疑問を持っています。

守護霊じゃなくて、中身そのものが霊に乗っ取られて入れ替わってるかも?

いえいえ、そうではなくて、
私は生きている人の意志の力の凄さを信じてるのです。

いろんな人の言う、神とはこうなんだああなんだ、って話は参考程度にしか聞いていません。
沢山の信者を持つ偉い宗教家の人の言う事でも。

私達は大きな神様のひとしずく。
そんな気がしているのです。

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