とある街のどこかの路地裏にひっそりと佇む一軒の店、夜魔猫亭。
いつ開くのか、何の店なのかも謎。
それでも気まぐれに明かりが灯る時、どこからともなくお客がやってくる。
ここは誰もが本当の自分の姿でいられる場所。

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。
 

放送はYouTube LIVEにて

「おはなし」と幸せ

思うことあれこれ

昨日、GODforestの放送でテーマの金太郎の話を朗読しているときに、ふと思った事。

私はどうも、童話を読むとセロトニンが出まくるような気がします。

多幸感を感じるというか、物凄く楽しくなるのです。

私が現在の怪談朗読の放送をするに至った動機というのは、

人前で喋る必要に迫られてその練習の為だったのですが、

スピーチの上達法でもなく、なぜ怪談? なぜ朗読を選んだ?と考えると、

元からそういう事が好きだったからとしか言えません。

小学生の頃は放課後毎日、同級生を集めては怖い話を語って聞かせていました。

それは何かの本から仕入れた話だったり、聞いた話、

自分がこんな事があったら怖いと思う話を作ってもいました。

それがそのまま今に繋がっているのは間違いなさそうですが、

その前はと考えると、怪談に限らず、
図書室の日本の民話全集や世界の童話全集を
毎日読みまくっていたのでした。

そしてその前は、幼稚園では何より紙芝居の時間が大好きだった事を思い出します。

もうその時間は胸が張り裂けんばかりのワクワクを感じていました。
大げさじゃなく。

それを更に遡ると・・・
行き着くのは、親が寝る前に聞かせてくれていた「おはなし」でしょうか?

私にとっての「おはなし」「ものがたり」は、
愛情の源流に繋がる物だったのかも知れません。

これまで改めてそんな風に考えたことはありませんが、

だから「おはなし」を読むと幸せな気持ちになるのかとなんだか腑に落ちた気がします。

一日が終わった気がして読んでるうちに眠くなるわけも。(笑)

怖い話の中では、そういつもいつも幸せな気持ちになれるわけではないけれど、

それでも恐怖の存在となってでも誰かに伝えたい思いが強烈にあるのが怪談。

かつて生きていた人たちの悲しみや苦しみといった感情を自分に置き換えて、

どうしたらそうならずに済むか、救えるかを考えることが

読み手、聞き手双方の癒しになるという事かも知れません。

いつか、私が子供たちに寝る前に本を読んでやっていた事が、

彼らの幸せな記憶の1ページになるのでしょうか。
私が気付いたように。

今、朗読したり語ったりしている怪談も、

何かの形で誰かの愛の源流に触れることがあるといいのですが。

と、そんな事をつらつら考えている私って、とても幸せ者ですね。

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